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女中が見た芸妓の艶。花柳界に力強く生きる女性たちを活写した幸田文学を代表する傑作。
【日本芸術院賞 新潮社文学賞 受賞】
梨花は寮母、掃除婦、犬屋の女中まで経験してきた四十すぎの未亡人だが、教養もあり、気性もしっかりしている。没落しかかった芸者置屋に女中として住みこんだ彼女は、花柳界の風習や芸者たちの生態を台所の裏側からこまかく観察し、そこに起る事件に驚きの目を見張る……。
華やかな生活の裏に流れる哀しさやはかなさ、浮き沈みの激しさを、繊細な感覚でとらえ、詩情豊かに描く。
1956年、成瀬巳喜男監督によって映画化された。田中絹代、山田五十鈴、栗島すみ子、杉村春子、高峰秀子などが出演している。
巻末「著者のことば」より
小さいときから川を見ていた。水は流れたがって、とっとと走り下りていた。そのくせとまりたがりもして、たゆたい、渋り、淀み、でもまた流れていた。川には橋がかかっていた。人は橋が川の流れの上にかけられていることなど頓着なく、平気で渡って行った。私もそうした。橋はなんでもない。なんでもないけれど橋へかかると、なぜか心はいつも一瞬ためらって、川上川下、この岸あの岸と眺めるのだ。
水は流れるし、橋は通じるし、「流れる」とは題したけれど、橋手前のあの、ふとためらう心には強く惹かれている。
本書「解説」より
幸田さんの文章を見ているうちに、次第に私はこういうことに気がつき出した、つまりこれは文章家の書いた文章ではないということ。文字があって、その文字を排列して出来上ったという文章ではない。ことばがあったのだ。声音を伴うことばがまずあったのだ。そのことばを、まあかりに文字に移し写してみたのだ。そういう工合にして文章が出来上ったのだ。文字によって構成される文章というもののロジックではなしに、話される生きたことばのロジックに従って文章となったというのが幸田さんの文章である。
――高橋義孝(文芸評論家)
幸田文(1904-1990)
東京生れ。幸田露伴次女。1928(昭和3)年、清酒問屋に嫁ぐも、十年後に離婚、娘を連れて晩年の父のもとに帰る。露伴の没後、父を追憶する文章を続けて発表、たちまち注目されるところとなり、1954年の『黒い裾』により読売文学賞を受賞。1956年の『流れる』は新潮社文学賞、日本芸術院賞の両賞を得た。他の作品に『闘』(女流文学賞)、『崩れ』『包む』など。